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2017.11.28 UP
周南市のクリエイターへのインタビュー連載第6回目は、「株式会社ウイズプランニング」の三分一幸治さん。脱サラしてデザイナーを目指し、ゼロからまったく新しい分野の仕事をご自分で開拓されており、周南市でデザインのお仕事に長い間携わってこられました。デザイナーとしてどのように仕事をつくってこられたか、またどのようにそのお仕事の幅を広げてこられたかについて、その秘訣や行動指針についてお聞きしました。
ーーデザイナーのお仕事を目指されたきっかけはなんでしたか?
私はもともと教師になりたかったんですが、入試に失敗してしまって法学部に入ることになりました。そして卒業後に何をしたいかと考えたとき、クリエイティブな制作現場・ものづくりがしたいと思ったんですが、文系の大学を卒業してもいきなり制作の現場に就職の場は無かったので、地元に帰って自動車販売会社に就職してそういう制作の仕事ができる機会を待つことにしました。
そうすると社内に「営業企画部」という新しい部門が立ち上がることになり、そこが企業の広告宣伝を行う業務内容だったので真っ先に手を挙げてその部門に移動しました。そこでは広告代理店からくる提案をもとに業務を行っていたんですが、当時代理店から上がってくる企画やデザインが面白くなかったため自分でデザインをし始めたんですね。自分で会社案内や車のチラシなどのデザインをつくると、すぐに反応が返ってくるので楽しかったです。
ーー新しい部署で、どうやってデザインのお仕事を覚えられたんですか?
当時登場したApple社のMacの使い方を、広告代理店のデザイナーに教えてもらって覚えましたね。Macがでるまでは広告作成はすべて手作業で、個人でできる仕事じゃなかったんですよ。というのも、つくったデザインをデータ化をする手段がなかったんですが、Macのおかげで簡単に印刷物をデータ化できるようになりました。デザインの仕事が楽しく独立も考えてきていたころだったので、Macを購入してからは毎日仕事から帰ってはイラストレーターやフォトショップを触り、広告代理店の制作室に通って「どうやったら写真加工やアナログのグラフィックを自由自在にデジタル表現できるようになるんだろう?」とわからないことはどんどん手を見て目で盗んでいきました。
会社にいる間に色んなデザインの仕事をしましたが、まずはチャレンジ、それから独学を重ねて仕事を覚えていきましたね。そのまま特に取引先とのつながりもつくらずに会社を辞めて独立してしまったんですが、セオリーを知らないかわりにアイデアには自信があったので「なんとかなる!」と思ってました。
ーーデザイナーとして独立してからはどうでしたか?
紹介で来た仕事を納品して、そこからまた新しい紹介をつくっての繰り返しで軌道にのっていきました。印象に残っている仕事は県内の某オーディオビジュアル専門店の広告宣伝で、広告・イベント・チラシ・HP・DMなどの必要なクリエイティブ案件を全てトータルで制作させていただきました。そのころのオーディオ機器としては日本一レベルで売れました。
当時この仕事の依頼をして頂いた社長は、10年間私の企画やデザインにほとんど一切直しを入れてきませんでした。ただずっと「普通のことはしたくない!」と強く思っていたので、常に新しいことを模索してました。おかげでよく「前例がない」と言われましたね。今は普通になっている、裏と表の二面が剥がせる「圧着はがき」があると思うんですが、あれはもともと片面だけしかなかったんですよ。当時「これは両面できるだろう」という発想を思いついたとき、郵政省からも「それは前例がないんですが…」と言われたところを強く通して、初の両面の圧着はがきを実現しました。
(周南市誕生10周年の記念イベントでの告知チラシ)
ーー前例がない発想やデザインのお仕事をご自分でつくっていくうえで考えていたことはなんでしたか?
まず「できないと言わないこと」ですね。せっかく頼ってきてるのに、「それはできません」とは言うのは個人的に凄く嫌だったので、とりあえず「できます!」と言って仕事を請けてきました。紙媒体の制作物やウェブサイトが中心でしたが、サイン類や立体物をつくることもありました。スピードも大事だと思っていたので、クライアントから連絡がきたら直ぐに話を聞きにいき、その日のうちにデザインをまた持っていく、みたいなこともしていました。
あとは「人と同じことはやりたくない」という意思ですね。別に他の人ができることならわざわざ自分で創る必要はないし、そこには価値がないと思ってるんです。興味あることは全部自分でやってみて、組み合わせて新しいものを生もうと常にしています。良い広告には良い写真がないとだめだ、と思って独学でカメラを勉強して写真素材を撮るようになったり、航空写真にも興味があったので、無理矢理クライアントに「空撮を導入しましょう!」と提案。最初の空撮はプロの空撮カメラマンに同乗してもらってセスナを飛ばしましたが、「これは自分の方が上手く撮れる!」と思って次からは自分でセスナをチャーターして自前のカメラで撮影するようになりました。周南市に関しては、何度も何度も(ほとんど趣味で)端から端まで空撮しています。最近はドローンも導入しているので、セスナとドローンの両方で空撮できるのは自分しかいない!とも自負しています。
(セスナで空撮した周南市のコンビナート)
ーーこれからの周南市のクリエイターの方々にはどんな期待を持たれていますか?
東京で働くか地元で働くか、みたいな考えがあると思いますが、僕は正直どっちも変わらないと思います。東京の有名なクリエイターの仕事も、周南市での仕事と比べてもボリュームが大きいだけでやっている内容は一緒です。そのうえで「地元を大事にしたい。地域に貢献したい」と思って一緒に働いてくれる人は嬉しいですね。
結局はつながりから仕事が生まれていくので、まずは自分ができることでひとつの証明をすると、そこから「じゃあ次はこれをお願い」と新しい紹介につながっていきます。そうやってつながりがつながりを生んでいくと、クリエイターとしてもいろんな仕事ができてきて成長していけると思うので、迷わずいろんなチャレンジをしていってほしいですね。
PROFILE
三分一 幸治(サンブイチ コウジ)
株式会社ウイズプランニング クリエイティブディレクター。
西南学院大学法学部法律学科卒
一般社団法人山口県デザイン協会専務理事(H17~18年会長)
一般社団法人周防大島コミュニティケア協会理事
周南市青少年育成市民会議常任理事
周南市景観審議会委員
YICキャリアデザイン専門学校非常勤講師
大学卒業後、トヨタカローラ山口株式会社に入社。
販売の現場~リクルートの現場を経験し、以降7年間広告宣伝企画を専属で担当。全国を駆け巡り見聞を広め、様々な分野に人脈を創る。
CM制作の現場、ラジオ番組制作の現場、イベント企画、印刷の現場に深く関わる。
またレーシングチームを結成しマネージャー(監督)として数々のレースに参戦。
1997年独立しウイズプランニングを設立。2009年に法人化。
法学部出身ですが、クリエイターに必要な要素は、デザインのスキルだけではなく、時代を読む力とアイデアの引き出しの多さとユーモアのセンスと趣味の多さと人付き合いの良さと体力と・・・・いろいろです。
基本的にボランティアが大好きなので、街興しや市民活動、子どもの健全育成に関する団体、母校の同窓会など、なんでも二つ返事で引き受けます。